岡山を代表するUberEatsユーチューバー【ぷちぱんさん】インタビュー「他人も自分も責めないことが一番自分らしくいられる」

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今回取材をさせていただいたのは、岡山県在住のぷちぱんさんです。現在YouTubeではUberEats配達員として岡山県のUberEats文化の情報発信を担っています。

いつも笑顔で美味しいごはんを配達してくれるぷちぱんさん。

今回のインタビューは2022年7月に行われました。人工透析の真っ最中に電話取材を受けて下さったのです。

病気についてのお話やUberEatsの楽しさなど、たくさん聞いてきましたのでぜひお楽しみください!

ぷちぱんさんプロフィール

ぷちぱんさん

●プロフィール

岡山県岡山市出身

大東文化大学国際関係学部卒

●好きなもの

ももクロ(あーりん推し)

プロレス

マクドナルド

ジョギング

●その他 

板橋シティマラソン2018 完走

ぷちぱんさんの生い立ち

タカツキ

今回はインタビューを受けてくださって本当にありがとうございます。

ぷちぱんさん

いいえ。こちらこそありがとうございます。

タカツキ

UberEats系ユーチューバーとして活動されているぷちぱんさんですが、東京や大阪などの都市圏以外でUberEats系ユーチューバーの発信をコンスタントにされている方は少ないですよね。

ぷちぱんさん

そうですね。

タカツキ

ぷちぱんさんの生い立ちを小さなころから順番に聞かせてください。

ぷちぱんさん

わかりました。私は岡山県生まれです。幼稚園児だったころから他の子たちに比べて体が大きく、あまり周りに馴染めなかった思い出があります。

鬼ごっこをしていてもタッチする力が強いと言われてしまったり、孤立することが多かったですね。

それがきっかけで一人でずっと漫画を描いているような子供でした。

タカツキ

絵を描くことは小さな頃から好きだったんですね。

ぷちぱんさん

はい。高校生からは部活でレスリングを始めました。それまでは自分の体格を生かせる場所がなかったのですが、初めて全力で動いてもいい場所に出会えたんです。

もちろん格闘技なのでケガをすることもあるし、させることもあります。でもすごく楽しくて東京の大学にスポーツ推薦で入りました。

オリンピックを目指すレベルのところで、かなり本格的に取り組んでいました。

人と競争したり勝ち負けをハッキリさせるのは苦手に感じていましたが、格闘技自体は好きだったので高校・大学と7年間やり切りましたね。

この道で就職出来たらいいなと思っていたのですが、運動部特有の集団行動が難しいと感じていました。

タカツキ

大学生活のエピソードはありますか?

ぷちぱんさん

大学生活では一年生の終わりに韓国に遠征に行ったのがきっかけで、韓国が好きになりました。当時は1999年でまだ韓流ブームが起こる前です。

大学の専攻も韓国に変えて、奨学金をもらう形で大学生活の最後の一年間を韓国で過ごしました。韓国での一年間はすごく楽しかったですね。

タカツキ

韓国と日本で人間関係の違いはありますか?

ぷちぱんさん

そうですね。韓国の大学では政治の勉強をしていたのですが、外国人が自分しかいなくて『日本人の考え』を知りたがっている学生が多かったので、授業でも質問されることがほとんどでした。

当時はインターネットがまだ一般的に普及していなかったので、韓国の学生の勢いが嬉しかったですね。

今まで自分に関心を持ってもらっているという状況があまりなかったので、自分が人気者になったような感覚がありました(笑)

タカツキ

韓国を好きになったきっかけは大学一年生の時の遠征だと言われていたのですが、どこを最初に好きになりましたか?

ぷちぱんさん

当時の韓国は日本の田舎みたいな感じで、市場や屋台のアジアチックな雰囲気が良かったです。

初めて行った外国だったし、同じ人間なのに話している言葉も違うし文化も食べるものも違うし、すごいなと。

NPOを設立。体調の変化

タカツキ

その後日本で就職されたんですか?

ぷちぱんさん

それが大学生最後の年を韓国で過ごしていたため、就職活動ができなかったんです。半年間岡山県でアルバイトをした後、東京に戻ってNPOを立ち上げました。

タカツキ

NPO!

ぷちぱんさん

大学生の時にボランティアで日本に来ている韓国人の方と、日本語で会話をするという集まりに出ていたことがあって。これを本格的にやっていこうと決めました。

それでNPOの代表をさせてもらって、

2005年までやっていたのですが、当時インターネットが普及してきて留学生が自分たちで情報を交換できるようになっていったので、NPO活動を終了することになりました。

タカツキ

NPO活動を終了させた後はどうされましたか?

ぷちぱんさん

契約社員として飲食店の調理場で働いていました。責任者の方が人格者で、とても親切にしていただいて。

当時はそんなに先のことをあまり考えてはいませんでした。

でもある日体調が悪くなってしまって……。

26歳の時に心不全になってしまい

それはすぐに治ったんですが、30歳になった時に本格的に体調が悪くなってしまったんです。

僕はもともと腎臓が良くなくて、限界が来ていたんだと思います。

これはこのまま生活を続けることは難しいと感じ、お仕事を辞めて岡山に帰って来ました。

それが31歳のときのことです。

タカツキ

岡山に帰って来た後はご実家で暮されていたんですか?

ぷちぱんさん

実家なんですけど、すぐに人工透析を開始することになって一か月間入院しました。

同じ時期に東日本大震災があり、病院でその様子を見て自分の無力感を感じていましたね。

タカツキ

人工透析はずっと続けなくてはいけないものだと聞いています。

その後の働き方はどうされていましたか?

ぷちぱんさん

透析をしながらだとフルタイムの仕事が難しいんですよね。

でも普通の飲食店でもシフトがあって勤務が難しい。

タカツキ

動画を見させていただいたのですが、透析は慣れるまで食事制限もあるみたいで。

ぷちぱんさん

そうなんです。慣れていくのは大変でした。

入院中に栄養士さんから指導を受けるんですけど、指導の内容通りにしてしまうと禁止項目が多いんです。

普通に聞いているといったい何を食べたらいいのかわからなくなってしまって、

これはそのまま守っていたら栄養失調になるだろうと思うくらい。

タカツキ

すごく大変ですね。どう対策していったんですか?

ぷちぱんさん

もう自分で勉強するしかありません。

栄養学の本を読んだり、他の方の動画を見たり、他の病院の先生と話す機会があったので情報を集めて、血液検査の結果を見て自分で探っていくのを繰り返しました。

先生も栄養士さんも本人ではないので、本人にしかわからないことは本人で探っていくしかないと思います。

タカツキ

本人でしかわからないことは本人が探っていくしかないというのは、どの病気も共通ですね。

UberEats配達員を開始

ぷちぱんさん

その後マクドナルドのアルバイトに採用していただいて、最初は2時間勤務からスタートしました。一年でマネージャーになって、そこからフルタイムで働かせてもらいました。

しばらく働いた後、岡山でUberEatsが開始されるという噂を聞きまして、もともとUberEatsの働き方に憧れていたので、すぐにアルバイトを辞めてUberEatsの配達員になりました。

岡山で一番最初のUberEatsが開始された時から働いています。

タカツキ

今ではもうベテランさんですね。

ぷちぱんさん

それが2020年のことです。

最初の頃はUberEatsの制度自体がまだ不安定でしたが、UberEatsで働けるという喜びの方が勝っていましたね。

人を責めないということ

タカツキ

ぷちぱんさんが大切にされている考え方はありますか?

ぷちぱんさん

自分が外さないようにしているのは「他人を責めない」ということです。

それは自分に対しても、他人に対しても。それが一番自分らしいと思っています。

働く時も遊ぶ時も動画を作る時も、いつも自分が自分らしくいるための方法として心がけていますね。

タカツキ

真似したいです。つい自分も自分を責める心を持ってしまうので。

ぷちぱんさん

それはタカツキさんのやり方でいいんですよ。人それぞれ、僕にはこのやり方が合っているというだけです。

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ぷちぱんさん、今回はインタビューを受けてくださってありがとうございました。忙しい時間の中、しっかりと私の話も聞いてくださって大変感謝しています。

ぷちぱんさんの動画はUberEatsの情報の他に、身近な生活の状況や雑談など癒されること間違いなしの内容です!

ぜひ一度YouTubeチャンネルを覗いてみてください。それではタカツキでした

また次の記事でお会いできるのを楽しみにしております。

ぷちぱんさんYouTubeチャンネル

ぷちぱんチャンネル
UberEats配達員のぷちぱんです🤓 配達員の日常を動画にしてお届けしております🚴‍♂️ ウーバーイーツ岡山を多くの方に知って頂き、より多くの方のお気に入りになれるようにYouTubeを頑張りたいと思っておりますので、高評価&チャンネル登録、動画の拡散で応援して頂けると嬉しいです! 2020年3月 UberEa...
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